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陰陽の一般論

≪黄帝内経・素問≫太陰余命論篇 第二九 第一章

陰陽の一般論

人体の陽とは自然界の天の気に相当し

エネルギーの供給と消費を司る

そこで人体の外部すなわち頭と手足の機能を主宰している

陰は地の気に相当し

エネルギーの生産と貯蔵を司る

そこで人体の内臓の機能を主宰している

故に陽経には活動に備えて精気が充実しているが

陰経の方はエネルギー生産の時を除くといつも精気は虚している

虚実論

虚実とはなにを示すのか

≪黄帝内経・素問≫第2巻第1章 虚実論

病変を起こしている局所の組織が硬くしこり、充実した状況を示す時

これを”実”と言う

邪気すなわち外来性の病因因子の侵襲力が強く

人体の反応力(精気)も強く

両者が激しく拮抗する時に起こる(邪生闘争)

局所の組織の緊張が低下し、軟化、陥凹など虚弱化した反応を示す時

これを”虚”と言う

精気すなわち人体の抵抗力が脱落した時は

邪気に一方的に侵害されてこの様な状態を起こす

鍼灸治療において最も基礎的な鑑別はこの”虚実”を見分けることである

望診・聞診・問診・脈診・舌診の全ての診察法を動員して素早く判定する

最も重要なのは”脈診”である

一見”虚”にみえても”虚実狭雑”していることもあるので注意が必要

虚実について

≪黄帝内経・素問≫通評虚寛論篇 第二十八 第一章 虚実論

病変を起こしている局所の組織が硬くしこり

充実した状況を示す時、これを実と言う

邪気すなわち外来性の病原因子の侵襲力が強く

人体の反応力も強く

両者が激しく拮抗する時に起こる

局所の組織の緊張が低下し

軟化、陥凹など虚弱化した反応を示す時、これを虚と言う

精気すなわち人体の抵抗力が脱落した時は

邪気に一方的に侵害されてこの様な状態を引き起こす

鍼灸治療を始めるときに最も基本的な診断は”虚実”の判定である

肝と疲労

≪黄帝内経・素問≫第六節第九

身体の中心にあって植物の幹に相当する位置を占める”肝”は

エネルギー(血)の貯蔵と供給を通して

身体の活動と疲労を担当する器官で、魂の宿るところである

その機能が外に華やかに映えるところは爪である

その充実した力が現われる場所は筋である

また血気の働きを育成する

肝は腹部にあり、血の貯蔵、育成、罷極(ひきょく)に関係する

注)罷極(ひきょく)

  罷は疲と同じ意味で”疲労”のこと

  極は全身を緊張させて頑張ること

  罷極とは人の活動における弛緩と緊張を意味する

  肝は血を貯え、血は栄養素としての栄気が含まれている

  これを必要に応じて放出する

  そして”極”(活動)を起こす

  過度となると疲労困憊する、これが”罷”である

※ 疲労は全ての病に影響する重要な要素で

  極まると臓腑病、難病、癌などにも発展すると

  藤本蓮風先生は述べている  

魂と魄

≪黄帝内経・『霊枢』本神第八≫

人は魂と魄から成る

叉、人は形(体)と気(神)から成る

魄は形、魂は気に当たる

気の高次元のものを神という

精神、神経の働きである

精はエネルギーの坦体であり、栄養素である

魂は気すなわち神と連動し

魄は形すなわち精と連動する

所謂「病は気から」という

神主学説の原点が述べられている

黄帝内経とは

『黄帝内経』とは2000年以上前に中国で書かれた

最古の医学書といわれ、謂わば東洋医学のバイブルである

『黄帝内経』が書かれた時代、医療は現在のように機械を用いたり

細胞を見るなどのミクロの医学はなかった

その代わり、人が生きていることを「全体的(マクロ)に」捉え

生命の営みを緻密に診ていたのだ

そこで得られた知見が示すのは、人と自然の関係、臓器同士の結びつき

心と身体との関連といったことであった

病気だけを問題にするのではなく

その人の習慣や感情の傾向、食事

またはその人の住んでいる土地、季節などとの関わりから、総合的に診ていた

人が健康で寿命をまっとうするためにはどのようにあるべきか

東洋哲学の観点から病気を考えていた。

これは最近、現代医学が目を向けはじめた

「生活の質」(QOL)を高めるという発想ときわめて近いものがある

身体に負担をかけず、自然のルールに従って健康を保持し

病気を克服するというものである

奇しくも、現代の生活に足りないとされている

まさにその要点がこの書物にあふれている