自分史19

在学中に東京で(公社)全日本鍼灸学会学術大会が開催され

初めて鍼灸学会に出席した

約2000人もの鍼灸の研究者、臨床家、医師らが全国から集まり

症例報告・シンポジウム・基調講演などが目白押し

学会の楽しさを知ることになる

東京まで学会に行く同級生は誰もいなかった

特に印象に残っているのは

昭和大学附属病院、東洋医学科逆子外来

逆子治療の2000例を超える症例報告は

鍼灸のエビデンスを高めるに値する研究発表だった

自分史18

当時の長谷川先生は血気盛んな30代後半

愛知県鍼灸師会や日本鍼灸師会で青年部長を務め

臨床・会務・スポーツ等、とにかく多忙を極めていたが

休日は一緒にテニスで汗を流すことも多く

公私共に大きな影響を受けることになった・・・

院内勉強会

今夜は院内勉強会

①美容鍼チーム

新しい美容鍼メニューの練習

②鍼灸臨床チーム

最近1週間で来院された16名の新患カンファレンス

患者さんの情報共有しより良い治療と

スタッフ全員のスキルアップのため

自分史17

恩師 長谷川栄一先生の略歴

1974年 愛知県日中友好協会・医療部会幹事として、中国江蘇省南京中医学院との医療交流に尽力する。

その間、愛知県鍼灸師会理事として、県内青年鍼灸師の活動の場である「青年サークル」を設立。

一方、日本鍼灸師会・青年部会部会長に就任。

1979年 北京中医薬大学、河南省人民医院、武漢医学院、上海中医薬大学にて研修。

1981年 南京中医薬大学及び付属医院にて研修。

1983年 南京中医薬大学、上海中医薬大学付属龍華医院にて研修。

1986年 南京市、無錫市、蘇州にて日中友好協会役員として文化交流。

1990年 北辰会へ入会。藤本蓮風先生に師事し中医学を深める。

1999年 中医学研究会「げんき会」の代表として、青年鍼灸師の育成に尽力する。

(現役職) ・一般社団法人 愛知県鍼灸師会 会長
・公益社団法人 全日本鍼灸学会・中部支部 学術委員
・名古屋大学統合ヘルスケアチーム所属
・中部大学 非常勤講師
・中医学研究会「げんき会」代表

自分史16

長谷川針灸院での修行が始まって

1年ぐらいで治療をさせてもらえるようになった

患者さんに治療できることが

なにより嬉しかった

怖いもの知らずのせいか鍼も良く効いた

EDが治った患者さんからは「先生は名医だ」と言われたことも

とはいえ見習い中

施灸で火傷して先生に叱られたことも多々あった・・・

自分史15

長谷川針灸院に入った理由は

中医学を研究されていることだった

毎週水曜日診療後は勉強会があった

教科書は神戸中医学研究所編著「中医学入門」

30年後の今でも中医学の初心者にお勧めの入門書

とっつきにくい中医学理論を眠い目をこすりながら学んでいった・・・

院内勉強会

今夜は院内勉強会

①美容鍼チーム

新しい美容鍼メニューの練習

②全員参加

施灸のスタッフごとの技術の差をなくすための反復練習

患者さん、経穴、皮膚の状態

湿度、気温によって心地よい熱感は異なることを知り

モグサの量とひねり方、線香の近づけ方

消すタイミングと指の当て方・・・

施灸技術は職人技だ

難治性逆子治癒

第1子逆子

31週で来院

35週目、3週間6回の治療で治癒し普通分娩

第2子も逆子

29週で来院

35週目、5週間11回の治療で治癒し普通分娩予定

第2子の逆子について

逆子の治療症例中過去最多の治療回数となった

第1子が鍼灸治療で治癒したので

通い続けたPtの執念ともいえるが

最終的に胎児の頭の位置側の申脈が奏功した

(至陰は毎回施灸)

考察すると

脈診では一貫して右尺位置の虚であった

腎陽を補う目的で命門の多壮灸(39壮)も試みたが

最後に使った「申脈」

八脈交会穴で陽蹻脈の主治穴

”表の陽気を高める”ことで治癒に至ったと考える

印象に残る症例となった

自分史14

中国の留学を諦め

鍼灸院での修行を考えていたところ

前出の山田鑑照先生が鍼灸院スタッフ募集のチラシを持ってきて下さった

渡りに船とはこのこと

名古屋市西区の長谷川針灸院で働くことになった

師匠の長谷川栄一先生とのご縁は今でも続いており

師弟以上の関係になろうとは当時思いもしなかった・・・

自分史13

中国に留学して鍼灸の研究をしたいと真剣に思った

ならばこの先生に相談するといい、と知人の紹介で

高木健太郎先生のご自宅に招かれた

当時名古屋市立大学学長であった

高木健太郎先生(医学博士)は

汗の研究、体温調節研究の世界的権威であり、

鍼灸医学の研究の為に再三中国を訪問し

西洋医学と東洋医学の交流に貢献

全日本鍼灸学会を設立

後に世界鍼灸学会連合会名誉会長になられ

鍼灸の研究者としても世界的に大変著名なお方だった

そんな偉い先生が鍼灸の勉強を始めたばかりの若造と会ってくれた

「中国に留学して鍼灸の勉強をしたい」という考えを伝えると

「日本人には日本の鍼灸が合っている、

中国に留学するよりも腕のいい日本の鍼灸院でしっかり勉強しなさい」

鍼灸医学の研究で何度も中国を訪問されている先生の言葉には重みがあった・・・