投稿

マイペースが一番

老子曰く

つま先で立つ者は長い時間は立てず

大股で歩く者は遠くまでは歩けません

自己弁護する者は他人から認めてはもらえませんし

自画自賛する者は他人から評価されることがありません

自慢する人間ほど本当は功績を持ってはおらず

どこにいても長続きはしません

要するに「無理をしても長続きしない」ということです

無理をして有名進学校に行くより、余裕で入れる学校にいたほうが

人生が豊かになれるかもしれない

高望みをして金持ちで美男と結婚しても幸せになれるとは限らない

他人を意識した無理な生活をせずに

マイペースを保つ人が幸福になれると老子は言っている

空(から)を知ること②

老子は言う

何も無いこと、空(くう)の有難みに気づいているのかね?

それを本当に認識すれば、無が生きて有に転ずる、無から有が生じるのです

人は心を空(カラ)にして生きなさい。心が空にならば、あとは知恵が

入ってくるしかないのです。自分の心を悩みで満たしていれば、

良い考えが入ってこられません。

無心でいれば、心身が強くなるのです。

悩みすぎて、悩みで心を満たしていては、なにも良いことはありません。

「柔よく剛を制す」と言うように、無心は、その人間にとっての最善を起こします。

無心で、眼の前のできることを頑張りましょう。

空(から)を知る

老子は言う

空(から)があることが大切なのです

つまり、色んな物が生きて役立つのは

そこに「空」が存在するからなのです

これは物だけではなくて、人間も含めて

森羅万象全てに言える真理(道)です

だから心に「空」を心がける者

この道理を知っている者は

自由自在に生きられます

このことは東洋医学の陰陽思想とも一致する

「陰」=影=無=何も無いことがあるからこそ「陽」が存在する

森羅万象「陰陽」のバランスの上で成り立っているのである

http:www.n-acp.com

老子の思想その4

日々の生活の中で肉体を持ちながら

自分の良心(人の道)を真面目に守って生活することができますか

自分の生活の中で精神を集中することができて

それでも心身は柔軟にして赤子のようにいられますか

良心の鏡に恥じないような生活を自分はしていますか

他人や国の為に陰で良いことを自分がしていても

これをあえて他人に知られないようにできますか

万物の生死に面しても女性の母性のように

これを受け入れることができますか

この世のすべての知識を自分が持っていても

これを他人に自慢せずに控えめにいられますか

自分が開発して大切に守り育てた色々な物事を

自分の物とはせずにこれを自慢せずに

自分が取り仕切ろうとしないことができますか

これらのことができることが”聖人の徳”なのです

これらの言葉は老子が自分自身の生活で心がけていることを説明しています

老子とはこの様な人物であったのです

しかし、自分はこのように実践していると老子が書くと

これはこの内容に反することになりますから

あえて聖人のおこないと表現されています

激変する時代の世情から来る心の揺らぎにも

母性の心をもって自分の心を静かに保つことが大切で

静かな心で物事を眺めて自分ができることを努力すること

そのうえで流れる方向には、臨機応変に進む勇気も人間には大切だ

このように老子は唱えるているのであろう

老子の思想その3

小原村四季桜 患者さん提供

”足るを知れ”

何事も、いつまでも満腹にし続けようとするのはやめたほうがよい

逆に短命になります

心身を鋭く尖らせれば、逆にその分何事も長く継続することができません

焦らずに気楽にしているのが得です

金銭財宝を持つほど、それを守るための悩みと身の危険度が増し

殺されかねません、一体何のための財産なのでしょうか

人間は、富裕を手に入れて傲慢になれば、逆に多くの罪も侵すものです

これが自分の寿命を削り子孫に悪い因縁を残すことにもなります

だから人間は他人のためになる仕事をやり遂げたならば

営利をいつまでも貪らずにさっさと隠居するのが天の道なのです

[解説]

人間は満腹になるよりも腹八分目が良い

老子は、社会の成功者になって傲慢になれば

多くの人が知らずに罪を犯しやすい事を指摘しています

例えば独裁的な経営者による思いやりのない人事異動は

その社員だけでなく家族の運命も変えてしまうことがあります

最後の句は、政治家や権力者には耳の痛い言葉です

年をとれば周囲に迷惑をかけずにキレイに身を引くことができる人間が

どれほどいるのでしょうか

昨日参院で特定秘密保護法を強引に採決に持ち込んだ与党にも

聞かせたいものです

老子の思想その2

”人の心は武器を制する”

人間の心とは、まるで空の容器でもあるかのように

何の力も無いように人は思っています

しかし、心の大きさと働きは、何をいくら注ぎ込んでも

一杯にならないほど広大無辺であり無限の力を持つものである

人の心の深さとは底(限界)が見えない淵のように奥深くて

万物を生み出す大もとが人の心に存在するようです

人の心は万物の鋭さを丸く収めることができます

つまり、刺々しい人間関係や国家間の刃物(武器)の尖端をも

人の心は丸くすることが可能なのです

心は物事のもつれや誤解を解きほぐし

強い怒りの光をも和らげることができます

そして、この世の人の汚い部分や悲しみにも

人の心は他人と共有することができます

※2500年前の老子のこの言葉を

 老子を生んだ隣国の指導者に読み解いてほしいものです

老荘思想その2

「他人と比較する心」

世の人々は多くは、美しいものは美しいと認識している”つもり”

だが、これは正しくはない

世の皆が善は良いものだと認識しているが

これも正しくない

その理由は、善と悪、難しいとやさしい、長いと短い、高いと低い

強いと弱い、金持ちと貧乏、美人と不美人・・・・・

このようにすべてを「他人と比較する心」から人は認識している

ゆえに真理(道)を知った聖人は、このような「比較する」区別をせずに

無言のままで自分の生活態度により正しいことを実行して人に見せるのである

聖人は万物の自然のままの状態を尊重して自分の手を加えることをしない

万物を育成しても縛り付けず、悪いことをしても見返りを求めない

物事を達成しても、その名声や評価を求めない

そもそもその必要がないという

なぜならば、他人も含めてこの世の全ての物事が聖人の「持ち物」

であることを知っているから

<解説>
老子の視点はとてつもなく巨大で、

まるで宇宙から無数の星の中の一つである

地球を見ているかのような気持ちの視点である

私たちも小さい視点で生活をしていると

社会生活で嫌なことばかりを感じてしいがちになる

しかし、広い宇宙から地球を眺めるような気持で生活すると

細かいことに執着して悩むことをやめていくことができる

”他人も自分自身である”という、愛情をもって人が生きていれば

この世はもっと良くなると説いている

老子の思想その1

これが正しい人生(道)だと言い表せるような人生は

本当に偉大な人生(道)ではない

これが本当の「名前」だと呼べるような名前は、真実の名前ではない

天地が創られた時には名前などは存在せず

万物が生み出されたあとにそれらは勝手に名づけられたのである

だから無欲な心を持って見れば”名前に左右されない”

物事の本当の姿を人は見ることができるであろう

欲望のままでは、人は物事の上辺の姿しか見ることができない

名前(人の地位)に左右されてしまうのである

私たちは日常生活において他人の外観や学歴、肩書だけを見ようとはせずに

「相手の気持ち・本質を見る視点を持つこと」が大切であるとともに

家族にも、家族の気持ちを「見ようとする心」を持つことが大切である

と老子は説いている

老子の思想

夜空の不動の位置に輝く北極星は古来より旅する人々の道標だった

これと同様に古代中国に生きた老子の思想には

長い時を経ても不変の真理と叡智がある

約2500年前に老子が表した言葉ほど

内容がまったく古びた心真理を表現しているのは

他に類をみないことは驚き以外の何物でもない

暫く老子の言葉から現代人の生きる道標を探ってみようと思う

ことばは絶対ではない

「道」は本来無限定なものである

したがって、ことば=概念による区分も、一時的なものに過ぎない

にもかかわらず、ことばを絶対視するからこそ

事物を差別と対立の相においてのみ捉えることになるので

例えば「左」ということば=概念に対しては「右」という対立概念が生まれる

こういった相対的な分類に基づいて「秩序」と「等級」が形成され

「差別」と「紛争」をもたらした

これこそ人間が知によって得た八つのものなのである

だからこそ聖人はいっさいの現象をあるがままにまかせて論じようとしない

一般の人びとは、ことばを絶対視してたがいに是非を争いあう

つまり、ことばを絶対視し、是非を論じるのは

「道」を理解していない証拠なのである

≪荘子より抜粋≫