七情と五志

東洋医学では

内傷病の発病要因として「七情の過不足」に注目する

七情とは

感情としての喜・怒・憂・思・悲・恐・驚・の総称

これが過度になったり、長引くと病を引き起こす

五志とは七情の中でも特に

喜・怒・思・憂・恐・の五つの感情をいう

この解説は次回に・・・

アラン幸福論その7

楽観主義者が誓いを要求することがよく分かる

はじめはどんなに奇妙に見えようとも、幸福になることを誓わねばならなぬ

≪アラン幸福論≫より

幸福は与えられるものではなく

自分の”意思”によってつくりだすものである

人間が市民生活で生きていくからには

それを誓わねばならない・・・アランはそう述べている

待っていても幸福は訪れない

そのためには能動的な強い意思が必要なのである

小便不利

前立腺肥大に伴う小便不利

排尿遅延・頻尿・尿きれ悪い

80才♂

腎陰虚症と診たて

左照海・左腎兪に蓮風鍼3番で10分置鍼

治療した夜から排尿スムーズに、排尿遅延なし、尿きれよし

頚椎症の治療をしていたが思わぬ効果に本人驚くことしきり

難聴と耳鳴り

「難聴・耳鳴り」は鍼灸の良く効く適応症であるが

しっかりと弁証できなければ治りにくい疾患でもある

難聴を耳聾(じろう)といい、耳鳴りを耳鳴(じめい)という

両疾患は密接な関係があり、耳鳴は耳聾の経症であり

耳聾は耳鳴の酷いものである、両疾患は明確に分けられない

【中医学による分類】

1)風熱襲肺の耳聾

2)肝火と肝陽上亢の耳聾

3)肝血虚の耳聾

4)腎陰虚と腎陽虚の耳聾

5)心腎不交の耳聾

6)脾胃気虚の耳聾

7)痰火の耳聾

8)気滞血òUの耳聾

虚実の弁別が大切

実証は発症が急で音も大きく低音性を呈し、風・熱・湿邪による

虚証は聴覚が次第に低下し、蝉の鳴き声のような高音の耳鳴りを呈し、臓腑の虚損による

これらを鑑別し適切な処置ができれば慢性化した耳鳴も改善する

胃の湿熱による三叉神経痛

90才♀

数年前からの激しい三叉神経痛(第3枝)

あまりの痛みで入れ歯が入らず、会話もままならない

流動食をストローで摂取されている

脈は滑実

舌苔が厚腐苔

胃の湿熱と診たて

足の陽明胃経の井穴「右れい兌」より刺絡

以降激しい痛みがなく、入れ歯が入り、飲食ができるようになる

大層喜ばれ曲がった腰も伸びてきた

アラン幸福論その6

人ごみの中でちょっと押されたぐらいなら

まず笑ってすますものと決めておきたまえ

笑えば押し合いは解消する

なぜなら、自分がちょっと怒ったことを誰もが恥じるからだ

そうすれば、あなたはおそらく大きな怒りを

すなわち小さな病気を免れる

私の考えている「礼節」とはそういうものだ

つまり荒ぶる情念をなだめる体操なのだ

≪アラン幸福論≫より

アラン幸福論その5

自分一人で幸福になる者は

他の人たちによってさらに幸福で強くなるであろう

たしかに幸福な人たちは良い取引を、良い交換をするだろう

人に幸福を与えるなためには自分自身の内に幸福を持っていなけらばならない

≪アラン幸福論≫より

我々の携わる”医療”という仕事の意義はこの言葉に集約されている

アラン幸福論その4

私たちは自分の幸福を行動によって生み出していかなければならない

とアランは主張している

そうして手に入れた幸福にこそ価値がある

幸福はいつでも私たちを避ける、と言われる

人からもらった幸福などというものはおよそ存在しないものだ

しかし、自分でつくる幸福は決して裏切らない

≪アラン幸福論≫より

アラン幸福論その3

人がいらだったり、不機嫌だったりするのは

しばしばあまりに長く立ち通しだったせいである

そんなときは、その人の不機嫌に対してあれこれ理屈をこねるのでなく

椅子をそっと差し出してやるがいい ≪アラン幸福論より≫

自分の情念にとらわれて心身が硬直してしまうことを

彼は「不幸」とみなした

そして、こうした心のこわばりを解きほぐす

「身体的な運動」が実は思わぬ処方箋になることを考えた

アランは「心の領域の病気にも、また肉体の病気の初期症状にも

同じく、リラックスさせることと体操が必要だ」と言っている

ここで言う「体操」とはラジオ体操のような運動というよりも

たとえばちょっとした「しぐさ」であったり、「微笑み」であったり

内臓の呼吸としての「あくび」であったりすると説いている

以下続く

アラン幸福論その2

”気分に任せて生きている人は皆、悲しみにとらわれる

否、それだけではすまない。やがていらだち怒りだす”

『アラン幸福論より』

自分を不幸だと思う時、私たちは友人が悪い、家族が悪い、先祖が悪い

社会が悪い、世間が悪い、あの人が悪い、あの国が悪い・・・と考えてしまいがち

自分の不幸を、他のものや、人のせいにするわけである

よく言えばこうした”反骨精神”はさまざまな社会運動を生んでいく力にもなるが

たいがいは、責任転嫁になってしまう

一方で私たちは、本当は自分自身が自分の不幸の原因であることに

実はどこかで多少なりとも気付いるが、それを認めようとはしない

気分を野放しにしておくと、どんどん不幸の方に吸い寄せられていってしまう

アランはこれこそが諸悪の根源だととらえ

「人間にとって最大の敵は自分自身である」と喝破している

明日に続く