むずむず足症候群著効

70代♀

主訴:足底のほてり・むずむず感・ピリピリ感

現病歴:今年の夏に熱中症のような症状が発症し以降
    
    両下肢のだるさ・むずむず感・足底のほてりを感じる

    神経内科を受診し”むずむず足症候群”の診断

    芍薬甘草湯を内服し主訴は緩解傾向であるが

    さらなる軽減を求めて来院

弁証:肝腎陰虚証

処置:左大巨に30㎜3番鍼を7分間置鍼

経過:第4診目でほとんど主訴は消失

考察:芍薬甘草湯と鍼治療が相乗効果を上げた症例

胞肓の効果

高校ラグビー部フォワードレギュラー部員

左足首の慢性的な痛みで来院(発症から4ヶ月)

今迄足首の捻挫といわれ低周波治療を受けていたが

市大会の準決勝を控え、スクラムウオールやタックルで痛みが残るので来院

弁証:左太陽膀胱経の経気不利

処置:左胞肓(殿部の経穴)に40mm2番鍼で10分置鍼

経過:治療後に足首の冷えと疼痛が顕著に軽減

   翌日準決勝にフル出場し試合に勝利

   痛みが楽になりプレイに集中できたと笑顔で来院

   足首の局所でなく全身を診ることで

   一本の鍼で気の流れを整え

   患部が温まり疼痛緩和に至ったS先生の症例

   

身体表現性障害

身体表現性障害

患者さんの訴えに見合う身体的異常や検査結果がないにもかかわらず

痛みや吐き気、しびれなど多くの身体的な症状が長い期間にわたって存在する病気

症状は体のさまざまな場所に生じ、しばしば変化する

患者さんの中には、症状を身体的に説明する原因がないということを

なかなか受け入れられず、医療機関を転々としてしまう方も多い

30代以前の若い頃に発症することが多く

男性に比べて女性に圧倒的に多いとされている

西洋医学で歯が立たないこの疾患も鍼灸で緩解することができる

西洋医学で説明できなくとも

東洋医学で病因を分析することは難しくないのだ

空間診による膝関節の治療

60代♀

数日前から左膝関節痛発症

立ち上がりや、階段昇降で痛くなる

関節可動域正常、腫脹(-)熱感(-)

弁証:空間診により左下前の気の偏在

処置:30㎜3番鍼で百会左に10分間置鍼

経過:治療直後に痛みは消失、「全然痛くない!嘘みたい!!」

   と驚きの声をあげて帰っていかれた

迷いのない診断

レーシック手術を受けた患者さんが

最近右目の視力が落ちたという

右の歯肉炎に伴い右肩こりも強い

空間診で臍の右上、足陽明胃経の”滑肉門”に横刺で置鍼すること数分

目を開けた瞬間に「よく見えるようになった!」と驚きの表情

患者さんはどうしてお腹に鍼を打って目が良く見えるのか不思議でならない様子

経穴を決めるのに要した時間は数秒間

”迷いがない鍼”は本当によく効く

http:www.n-acp.com

気温の急変に注意

一ヶ月前に夏日があったにもかかわらず

昨日から秋を飛び越して真冬のような寒さとなった

こういった気温の急変は身体も影響を受ける

下焦(下半身)が冷え相対的に

上焦(上半身)に気逆が起きやすくなる

眩暈、頭痛、顔のほてり、血圧上昇等々

下半身を温めることがポイント

慢性副鼻腔炎早期治癒

慢性副鼻腔炎が3回の治療で治癒した症例

最近多発するYAHOOブログの不具合で長文の入力ができず

後日報告します

老荘思想その2

「他人と比較する心」

世の人々は多くは、美しいものは美しいと認識している”つもり”

だが、これは正しくはない

世の皆が善は良いものだと認識しているが

これも正しくない

その理由は、善と悪、難しいとやさしい、長いと短い、高いと低い

強いと弱い、金持ちと貧乏、美人と不美人・・・・・

このようにすべてを「他人と比較する心」から人は認識している

ゆえに真理(道)を知った聖人は、このような「比較する」区別をせずに

無言のままで自分の生活態度により正しいことを実行して人に見せるのである

聖人は万物の自然のままの状態を尊重して自分の手を加えることをしない

万物を育成しても縛り付けず、悪いことをしても見返りを求めない

物事を達成しても、その名声や評価を求めない

そもそもその必要がないという

なぜならば、他人も含めてこの世の全ての物事が聖人の「持ち物」

であることを知っているから

<解説>
老子の視点はとてつもなく巨大で、

まるで宇宙から無数の星の中の一つである

地球を見ているかのような気持ちの視点である

私たちも小さい視点で生活をしていると

社会生活で嫌なことばかりを感じてしいがちになる

しかし、広い宇宙から地球を眺めるような気持で生活すると

細かいことに執着して悩むことをやめていくことができる

”他人も自分自身である”という、愛情をもって人が生きていれば

この世はもっと良くなると説いている

老子の思想その1

これが正しい人生(道)だと言い表せるような人生は

本当に偉大な人生(道)ではない

これが本当の「名前」だと呼べるような名前は、真実の名前ではない

天地が創られた時には名前などは存在せず

万物が生み出されたあとにそれらは勝手に名づけられたのである

だから無欲な心を持って見れば”名前に左右されない”

物事の本当の姿を人は見ることができるであろう

欲望のままでは、人は物事の上辺の姿しか見ることができない

名前(人の地位)に左右されてしまうのである

私たちは日常生活において他人の外観や学歴、肩書だけを見ようとはせずに

「相手の気持ち・本質を見る視点を持つこと」が大切であるとともに

家族にも、家族の気持ちを「見ようとする心」を持つことが大切である

と老子は説いている

老子の思想

夜空の不動の位置に輝く北極星は古来より旅する人々の道標だった

これと同様に古代中国に生きた老子の思想には

長い時を経ても不変の真理と叡智がある

約2500年前に老子が表した言葉ほど

内容がまったく古びた心真理を表現しているのは

他に類をみないことは驚き以外の何物でもない

暫く老子の言葉から現代人の生きる道標を探ってみようと思う