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自分史47

平成10年

治療院の従業員は3人から5人に増えた

受付1人、鍼灸師4人

鍼灸学校の新卒の求人では

5年間在籍を最低条件とした

最初の2年間は治療補助や問診

3年目から担当を任せるという方針は現在も続いている

5年間で延べ患者さんを1万人程度経験すると

独立開業する技術を習得できると考えた

こうして独立開業したスタッフは現在10人

個性あふれる面々はそれぞれ成長し

立派な臨床家に育っているのはこの上ない喜びだ・・・

自分史46

日進市岩崎台に50坪の土地を購入し

小さいながら2×4の住宅を建てることができた

引っ越しの荷物は2トントラックに隙間ができるほど少なく

「単身者並み!」と業者はビックリ(笑)

住居の空いたスペースで

ベッドをさらに3台増やし8台に

またまた治療室が広がった・・・

自分史45

家族3人

6畳二間、三畳一間、小さなキッチン、トイレは治療院と共用

子供が泣けば治療院に筒抜けという

劣悪な環境は2年間続いたが

辛抱した甲斐あって

小さな家を建てるための資金ができた・・・

自分史44

開業後4年が経過(H4年)

手狭になって空きテナント探し

開業地から直線200m南に

名古屋市住宅供給公社の空きテナントが見つかった

3K住居付きの20坪のテナント

家賃は驚きの5万円

ベッドは3台から5台に増え駐車場も確保できた

住居費の節約の為に

2才の息子と妻3人で壁一枚隔てた3Kの住居に引っ越し

耐乏生活が始まった・・・

自分史43

(一社)愛知県鍼灸師会学術部の仕事は

学術講習会の企画立案

講師の選定、会場の確保、講師との事前調整

レジュメの準備、会場設営、司会進行、アンケートの実施・・・

定期的に学術部会、執行部会、理事会への参加・・・

日常の臨床をこなしたうえで

我ながら良くやってるなと思うけれど

誰も褒めてくれない(笑)

若い鍼灸師の育成の為に

自己<他利

自分史42

H22年(一社)愛知県鍼灸専門師会が誕生し

(公社)日本鍼灸師会の県内会員の受け皿ができた

お世話になっている恩師からの拝命とはいえ

本心は公職には就きたくなかったが

自己<利他

常任理事(学術部副部長)という肩書がついてしまった・・・

自分史41

平成22年8月

(一社)愛知県鍼灸マッサージ師会総会において

県内3団体を一本化したことによって

鍼灸専門団体としての愛知県鍼灸師会は消滅した

上部団体の(公社)日本鍼灸師会に所属していた

会員は宙ぶらりんの状態に

鍼灸専門団体として今まで果たしてきた責務を継続する必要を痛感した

旧理事有志が立ち上がり、一般社団法人愛知県鍼灸専門師会を設立

会長に長谷川栄一先生が就任

理事として設立メンバーに加わることになった・・・

自分史40

当時愛知県内の業界団体は

愛知県鍼灸マッサージ師会

愛知県鍼灸師会

愛知県マッサージ師会

の三団体に分けられていた

長年業界団体を統一して一本化する案がくすぶっていたが

平成22年ついに3団体が統合され

愛知県鍼灸マッサージ師会に一本化

50年続いていた鍼灸師の専門団体

愛知県鍼灸師会が消滅する事態となった・・・

自分史39

平成10年~16年

公務として(一社)愛知県鍼灸師会青年部長を務め

途中から(一社)日本鍼灸師会青年部組織部長を拝命

全国に多くの青年鍼灸師の友人ができたことは

日本鍼灸師会青年部活動のお蔭

鍼灸師として視野を広げることになったと思う・・・

その後も(一社)愛知県鍼灸マッサージ師会中央支部の理事として

地域の開業鍼灸師とのパイプ役を務めることなった・・・

自分史38

2004年日本鍼灸師会学術大会in金沢において

「花粉症への中医学的治療と、耳ツボの金粒貼付併用の検討」

を発表させていただいた

花粉症患者29人に対して

中医学的少数鍼治療をしたうえで、

耳ツボへ金粒を貼付した結果

著効有効合わせて87%であった

この演題は愛知県鍼灸師会でも

症例報告として発表させていただくことになった・・・